探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.492【北摂・明神ヶ岳を歩く】
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左=樫船神社の参道  右=田能
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左=モチツツジ 右=ヤマツツジ
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深山(遠景中央左)と半国山(中央)。左手前は霊仙ヶ岳
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黒柄岳(中央の鉄塔が建つピーク)。左奥は湯谷ヶ岳、右奥は鴻応山
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寒谷の民家と旧道
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寒谷の巡礼道に残る道標(左=「左 あなうみち」/右=「右 よしみね」)
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左=道路の反対側が正面の石仏  右=平和池ダム跡地のモニュメント
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 日曜日のトレッキングで明神ヶ岳と黒柄岳に行こうと時刻を調べたら、バスのダイヤが変更されて計画の変更を余儀なくされた。以前に出かけた時はちょうどよい距離と時間で踏破できたため残念だ(→「南丹と北摂」)。いろいろ方策を考えてみたものの、難しいと判断して明神ヶ岳だけにする。
 時間に余裕ができるため田能・樫田の風景をゆっくり味わい、鎌倉時代に創建された樫船神社にも寄り道する。境内はモミの巨木もあってなかなか好ましい雰囲気である。昇尾(しょうお)峠へ迂回し、送電線の鉄塔をめざして急坂を登る。切り開かれた鉄塔周辺からは、丹波と摂津の山々が姿を覗かせていた。昨秋の台風による被害はこの稜線でも大きく、何度も迂回しながら山頂をめざす。
 昼食休憩ののち万寿峠へ下山。その後は年谷川の支流である寒谷川に沿って亀岡方面へ向かう。この谷筋は西国三十三所観音巡礼の道が通っており、寒谷に往時の道標が残っている。農作業をする住人に教えていただいた。第二十番の善峯寺と第二十一番の穴太寺を結ぶルートは、順道・逆打ともに寒谷を通るケースが多かったようである。ただ、古い時代は外畑(とのはた)・中畑・杉生(すぎお)・小泉を経由したといわれる。最後は1951(昭和26)年7月に決壊した平和池ダムの跡地で大水害を再認識し、今の道路に背を向ける石仏で古道に思いを馳せつつ桧谷公園まで歩いた(2019.5.19)。
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