探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.86【古寺山と「シュラインロード」】
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 左=千手観音像(葛井寺)  右=多聞寺境内の十一面観音像(華厳寺)
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 古寺山からの眺望(右は丹生山系)
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 左=清盛の涼み岩  右=山中に残る一石五輪塔
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 裏六甲ドライブウェイの近くに建つ鳥居(「シュラインロード」の登り口)
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 左=第十四番観音像  右=行者堂の前鬼・後鬼像
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 「シュラインロード」の尾根道は歩きやすい
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 裏六甲の古寺山に、三十三所観音石仏があることを知った。駅から山へ向かうと、アプローチに立派な石仏が祀られている(第一番から第十番。ほかの二十三体は多聞寺に移設)。その参道は何本もあり、なかには一般ルートといえないものもある。唐櫃から前ヶ辻を経て灘へつづく峠道は、「唐櫃越」や「行者道」と呼ばれてきた。
 「シュラインロード」にも観音石仏があって、文政八年に安置されたという。第一番から第八番と番外が「九体仏」としてまとめられ、これらは裏六甲ドライブウェイの造成により移設されたものだ。鳥居から前ヶ辻にかけて第十一番から第三十三番が置かれ、番外も含めてお参りすることができる(第九番・第十番は鳥居の東側)。
 そもそも古寺山の山名は、山中にあった多聞寺のことを表わしていた。平清盛の福原遷都における、鬼門(北東)守護の寺として知られる。本堂跡や護摩壇跡が確認されているものの、隆盛と衰退を繰り返しているため、詳しいことは詳らかでない(縁起は寺院の説明板にある)。ただ、麓の四鬼氏が墓碑などを今も大切にされており、唐櫃地域の風土を色濃く反映している。したがって、これらの道は観音の道であるとともに修験の道でもあった。そして、歴史の道としても興味深い。
 今年(2012年)の大河ドラマの話題として、山頂にある平清盛が涼んだという岩(「清盛の涼み岩」「修行岩」)と、平家滅亡につながる戦闘が繰り広げられた山域を訪ねるのも一興であろう。
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