探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.866【修行と信仰の道(榛名山)】
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烏帽子ヶ岳
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愛らしいキツネが迎えてくれる加護丸稲荷大明神の参道
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左=加護丸稲荷大明神  右=供えられた狐の焼物
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榛名富士
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左=富士山神社  右=饒速日大神・保食大神・榛名富士大神・石長姫大神(左から)
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磨墨岩
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左=岩に彫られた文字と絵  右=行者之窟
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磨墨岩
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相馬山
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左=黒髪山神社の鳥居  右=道中に立つ記念碑など
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黒髪山神社への道
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奉納された剣
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二ツ岳/伊香保温泉
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左=二ツ岳(雄岳)  右=伊香保神社
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一合目を示す石柱
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天神峠
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天神峠の常夜燈
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天神峠の旧道
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左=二十二丁石  右=「左 伊香保/吾妻 道」の道標
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九折岩
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左=瓶子ノ滝  右=矢立スギ(榛名神社)
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 古くから山岳信仰の山として仰がれてきただけに、その歴史の一端にふれたいと思っていた。山頂に祠や行場がある峰も多く、それぞれ信仰と修行の痕跡を訪ねるつもりである。
 烏帽子ヶ岳山頂直下の岩に加護丸稲荷大明神が祀られ、夥しい数の狐の焼物が供えてあった。榛名湖温泉側の参道も同様の場所があり鳥居が建てられている。農業神である稲荷信仰の一つの形式であろう。
 榛名富士には富士山神社があり、木花開耶(このはなさくや)姫が祀られることから良縁・安産の神として信仰を集める。近くには四神の石碑もあった。晴れていたら大パノラマの一等三角点だが、霧に包まれ時おり湖面が望めるだけだった。
 磨墨(するす)岩の行場に立ち寄り、下部の行者之窟も入ってみる。「するす」は臼(うす)のことで、少し離れた場所から振り返ると岩の形はまさにそのとおりである。
 相馬山は黒髪山とも称し、山頂は神像が点在し社殿に香のにおいが残っていた。古くは、榛名神社の末社として広大な領地を有していたらしい。神名の「くろかみ」は龍神・水神である「くらおかみ」が転訛したとされる。
 二ツ岳は岩場で構成される三つのピークの総称で、天候と時間の関係から雄岳だけに登頂する。電波塔の建つ上部の最高地点に石祠があった。麓の鷹ノ巣風穴近くには「一合目」の石柱が残り、かつての信仰を彷彿とさせる。そのあと、湯元から伊香保神社の横を温泉の石段街に出た。
 利根川水系の烏(からす)川流域から伊香保や吾妻(あがつま)方面へつながる道は、天神峠を越えて榛名山の内院に入る。今回は峠から山麓へ逆にたどる。峠には文化12(1815)年の常夜燈があり、本来は旧峠に建っていたらしい。旧道は榛名川右岸に沿って榛名神社へ下るため、道路に比べ約半分の距離しかない。途中に丁石と道標が残る。常滑ノ滝や九折(つづら)岩・瓶子(みすず)ノ滝・矢立杉など見どころが多い。岩塔と岩壁に囲まれた榛名神社境内もよい雰囲気だ。
 高崎市一帯は台地のため、大きな河川(烏川・井野川)に囲まれながらも水資源に乏しい。長野堰(ながのせき)は暮らしを支える基盤として平安時代に造られたが、水量を確保するため榛名湖の水も利用される。明治時代に、湖畔の取水口から榛名川へ隧道が掘られた。用水の歴史を学ぶ道でもあった。
 地域の生活と社会を見守る山として、榛名山は昔も今も変わらない存在だと実感した(2023.5.12〜5.14)。
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総檜造の伊香保温泉の宿
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長野堰用水に送水する取水口
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