探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.892【鏡山・星ヶ峰】
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鳴谷池
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左=雲冠(雲観)寺跡の石仏  右=三尊石仏
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寺院跡の石積み
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展望の広場から竜王町を見下ろす(中景中央は雪野山。遠景中央は東光寺山・日本コバの山稜)
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遠景左は阿星山。右に金勝アルプスが連なる(中景右手は菩提寺山)
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三上山(左)と妙光寺山(右)の稜線
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琵琶湖の向こうに比良山系の山々が連なる
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左=星ヶ峰(星ヶ崎城阯)  右=山頂の南西面に残る石積み
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猪子山〜繖山(遠景左手)と岩戸山・箕作山・太郎坊山(遠景右)。手前は瓶割山
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左=宝篋印塔(西光寺跡近く)  右=鏡神社の石燈籠(西光寺跡近く)
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オオフタバムグラ(タチフタバムグラ)
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左=ヘクソカズラ  右=ツリガネニンジン
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 滋賀県竜王町と野洲市にまたがる鏡山は数々の和歌に詠まれ、「西の竜王山」として親しまれている。これまでいろいろなコースから登っているが、久しぶりに鳴谷渓谷から入山して星ヶ崎城があった星ヶ峰へ縦走した。
 竜王町の観光駐車場を離れると、砂地に帰化植物のオオフタバムグラが目立つ。すぐに石床がつづく渓流で、湖南アルプスや金勝アルプスに似た景観が好ましい。鳴谷池を過ぎると山腹に雲冠(雲観)寺跡が広がる。説明板によると聖徳太子の創建で、伝教大師最澄によって再興されたという。信長の焼き討ち以降は衰退した。各所に石段・礎石・石積み・井戸跡が残る。
 山頂(384.8m)直下に展望の広場があって、竜王町側の景色が見渡せる。また、二等三角点(鏡山=384.48m)では南から西の山々が望める。「涼み岩」に上がれば三上山(近江富士)も近い。市町界の稜線は何度も方向を変え細く複雑だが、星ヶ峰が近づくとゆったりとした地形に変わる。ここはすばらしい展望台で、琵琶湖側の景観をしばし楽しんだ。鏡氏の山城とされ、部分的に石積みが残存するものの詳しいことはわからない。下山口一帯は西光寺跡で、移設された宝篋印塔などが保護されていた。
 竜王かがみの里(道の駅)で解散したあと、時間があるので源義経にかかわる場所をあちこち再訪する。その足で「篠原」駅まで歩いた。残暑の厳しい1日だったが、秋の草花も見ることができた(2023.9.17)。
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左=源義経元服の池  右=烏帽子掛けの松
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左=鏡神社本殿(南北朝時代)  右=鏡宿本陣跡
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左=源義経宿泊の館跡  右=寛元4(1246)年の銘がある石造五重塔(篠原)
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篠原から望む鏡山
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