探山訪谷[Tanzan Report]
space
space
space
space
 No.900【紅葉の雨飾山】
space
231015_23
space
space
雨飾山(糸魚川市の根知川沿いから。撮影=2023.10.14)
space
space
space
231015_1space231015_2
space
space
左=梶山新湯(雨飾山荘)  右=急坂がつづく登路
space
space
space
231015_3space231015_4
space
space
左=登るにつれ鮮やかな色彩に  右=黒姫山(遠景左)と糸魚川方面(中景右手から右へ駒ヶ岳・鬼ヶ面山)
space
space
space
231015_5
space
space
黄色が主体の梶山側中腹
space
space
space
231015_6space231015_7
space
space
左=鬼ヶ面山を背に急登がつづく  右=中ノ池
space
space
space
231015_8
space
space
梶山側中腹上部の紅葉(背後は鉢山〜昼闇山の山稜)
space
space
space
231015_9
space
space
海谷山塊の山々(左手=鬼ヶ面山。右手=鋸岳と阿彌陀山・烏帽子岳。右=鉢山)
space
space
space
231015_10space231015_11
space
space
左=羅漢上人が運び上げたと伝わる石仏(背後は三角点のあるピーク)  右=薄らいだガスに「乙女の横顔」が浮かび上がる
space
space
space
231015_12space231015_13
space
space
左=岩混じりのヤセ尾根を降る  右=荒菅沢
space
space
space
231015_14
space
space
小谷側中腹の紅葉
space
space
space
231015_15
space
space
布団菱尖峰群(正面右手は中央岩峰)
space
space
space
231015_16
space
space
雨飾山東面の岩壁と紅葉
space
space
space
231015_25
space
space
美しい色相のコントラスト
space
space
space
231015_17space231015_18
space
space
左=ブナ平付近  右=明才堰の石碑
space
space
space
231015_19
space
space
振り返って見上げる雨飾山(明才堰付近で)
space
space
space
231015_30
space
space
ウエツアザミ(?)
space
space
space
231015_24
space
space
雨飾山(遠景中央)。手前左は駒ヶ岳(大糸線の列車から。撮影=2023.10.16)
space
space
space
space
 頸城(くびき)山地の西端にある雨飾(あまかざり)山は、雨(天)を祀る山であり降雨祈願に関係していると伝わる。古くは「天錺」が使われたらしい。日本海に近く気象変化が激しいので、いつも雨に見舞われるからという俗説もあるほどだ。今回は、まさにその状況下での登山になった。
 かつて、積雪・残雪期と紅葉の季節に訪れたが、いちばん印象的な秋を選ぶ。参加者の希望を踏まえ、梶山新湯(雨飾温泉)と小谷(おたり)温泉に宿泊する計画である。
 夜半はけっこう雨が降っていたものの、雨飾山荘を出発する頃にはほぼ止んだ。天然スギの巨木が立つ急な尾根を登ると、徐々に黄葉・紅葉が目立ってくる。糸魚川の西方にある黒姫山から日本海が眼下に望める。中腹では見事な色彩に包まれ、周囲の景観を味わいながら中ノ池へのトラバース道に入る。稜線に近づくと海谷山塊の特徴ある山々が北側に姿を現した。
 小谷温泉からのコースが合流する頃から霧雨になる。展望は望むべくもない。平坦で広い尾根から急坂をひと登りで山頂に到達。石祠に二等三角点のあるピークと石仏が安置されたピークが並ぶ。
 下山時に少しガスが流され、一瞬だが「乙女の横顔」を描く登山道が見えた。笹平で金山へつづくシゲクラ尾根を分け、荒菅(あらすげ)沢支流左岸のヤセ尾根を降る。ハシゴとフィックスロープが数ヶ所あり、濡れているため慎重に足を踏み出す。標高1,500mぐらいで周辺が眺められるようになり、布団菱の岩峰群が見え始める。光の関係だろうか、梶山側に比べこちらの紅葉がより綺麗だ。開けた沢の徒渉点で休憩し、そのあと緑が混ざるブナ林を降る。
 キャンプ場のある登山口から、秋の草花を見ながら小谷温泉まで歩いた。時間の関係で鎌池には寄らず、明才堰の碑を見てこの地の暮らしに思いを馳せる。文面によると、明治12(1879)年から4年の歳月をかけて開かれた灌漑用水で、明治時代の「明」と事業を主導した横川才蔵の「才」から名づけられたという。
 弘治元(1555)年に、武田信玄の家臣によって発見された小谷温泉では、江戸時代以降の歴史に浸るひとときを過ごす。三度目で荒菅沢から「久恋の頂に立った」と語る深田久弥が滞在した座敷には、西郷隆盛の弟による書の扁額が掲げられていた(2023.10.15)。
space
space
231015_20
space
space
小谷温泉(山田旅館)
space
space
space
231015_22space231015_21
space
space
左=本館の座敷(左の扁額は西郷従道の書)  右=資料館に保存される古い看板
space
space
space
 →「探山訪谷」へ戻る→ホーム(トップ)へ戻る
space