探山訪谷[Tanzan Report]
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 No.901【明智薮とその付近】
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左=「明智光秀之塚」(胴塚)  右=「明智薮」碑
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明智薮
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左=明智光秀供養塔(本経寺)  右=小栗栖八幡宮
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左=日本三体子安地蔵尊  右=弘法大師杖の水
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大岩山の展望所
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竹林の道を藤森へ
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左=『深草トレイル』の分岐標識  右=藤森の高台から市街地を見下ろす
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 「京都再発見」の講座で、明智薮(あけちやぶ)に行きたいとの希望が寄せられていた。住宅地の傍らなので、ここだけなら少しの時間で終わってしまう。トレッキングの企画となるよう、周辺の見どころを一緒に訪ねることとした。地域的には、勧修寺(かんしゅうじ=山科区)・小栗栖(おぐるす。現行地名:おぐりす=伏見区)・深草(伏見区)にあたる。
 ちょうど、大岩山の南側を東から西へ半周するコースになった。醍醐天皇が母(藤原胤子=ふじわらのいんし)を弔うために建立した勧修寺(かじゅうじ)から出発する。山科川に沿う小栗栖街道の側には、光秀の胴体を埋めたとされる明智光秀之塚がある。首塚は東山区梅宮町にあって、昔からよく知られていた。
 天正10(1582)年に起きた「本能寺の変」のあと、羽柴秀吉と天王山で戦った明智光秀が近江・坂本城へ向かう途中に襲われた場所が明智薮である。今の小栗栖小阪町付近で、わずかながら竹藪が残っている。そばでは土砂崩れがあったのか、上部から下部へ一直線に裸地がつづいていた。また、西側にある本経(ほんきょう)寺には供養塔が立つ。
 近くの小高い丘の上に、地域を守る小栗栖八幡宮があってどうも城跡らしい。公園には日本三体子安地蔵尊が祀られていた。旧街道を離れると休憩所を併設する弘法大師杖の水があり、竹林を抜ければ『京都一周トレイル』F16の標識に至る。時間があるので、大岩山の展望所まで登った。F17に戻り、西へつづく『深草トレイル』で尾根筋を下って駅まで歩く。上部は里山らしい景観が見られた(2023.10.17)。
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