探山訪谷[Tanzan Report]
space
space
space
space
 No.918【安祥寺上寺跡の展望】
space
240108_1
space
space
山科盆地(前景のシルエットは、御陵の北側「鏡山」の尾根)
space
space
space
240108_2
space
space
千頭岳(左手)・高塚山(中央左)から醍醐方面(前景左のシルエットは諸羽山)
space
space
space
240108_3
space
space
最遠景左手は葛城山・金剛山。遠景中央は生駒山(中景は大岩山から稲荷山の山なみ)
space
space
space
240108_4
space
space
最遠景右手は大阪市街。手前の左右に男山と天王山(中景は稲荷山から花山の山稜)
space
space
space
nunomekawara
space
space
布目瓦の破片(2001年)
space
space
space
space
 大文字山から峰つづきにある安祥寺上寺(あんしょうじかみでら)跡へ久しぶりに立ち寄った。近くの400m標高点(安祥寺経塚跡)を経て後山階陵(のちのやましなのみささぎ=藤原冬嗣・藤原順子)へ下りる尾根で、山科盆地を見下ろす写真が読図の試験問題になったことがある。周辺のピークや谷、周りの状況から特定は容易だと思って回答したら、数十メートル以内の誤差でないと不正解。プレートコンパスで精密に方位を求める課題だった。実際の山行でそこまで詳細に知ることは難しいものの、昨今の「地図を読む」テクニックは感覚的な要素だけではダメなようである。
 そんなことを考えながら支尾根の平坦地に来ると、南側が開けて眼下に山科盆地から遠く大阪のビル群まで望むことができた。ときおり雪雲が通過するので、大峰の山々までは認められなかったが、興味深いひとときを過ごすことができた。下の写真は、その前に大文字山の頂上から南方を見たもの。この時はわずかに大峰の高峰や金剛山が姿を見せていた。
 跡地の中央には、調査をもとにした寺の復元図が掲げてある。いつ発掘されたのか知らないが、かつて私が探索していた頃は薮の中で古代瓦の破片を目にしたこともある。山科疏水の傍らにある現在の安祥寺(下寺)は江戸時代に開かれたが、山上のこの寺は嘉祥・仁寿年間(848〜853)頃まで遡るらしい。東山の山中で多くの寺院が営まれていたことを伝えるものだけに、南北朝の兵火で焼失したのが惜しまれる(2024.1.8)。
space
space
240108_0
space
space
最遠景左は大台ヶ原山(中央左に山上ヶ岳と八経ヶ岳。右手は金剛山)。中景左手は大峰山(背後の左は額井岳、右に貝ヶ平山が目立つ)
space
space
space
 →「探山訪谷」へ戻る→ホーム(トップ)へ戻る
space